区区の心

家づくりの道しるべが仕事ですがblogは日々の怠惰がほとんどです。

先鋭的であること

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ようやく春の匂いが感じられるようになり、諸々の問題もほぼ処理し終え、
さて、次の一歩を踏み出す前に一服しているヨシタケですこんにちは。
 
 

 
 
 
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私たちの世代から見た先輩方は、成功の象徴が酒や車や女で、
いわゆる「浪費」が一つのステータスだったように思う。
ところが昨夜、今の時代においては確実に成功を収めておられる方がある写真を公開し、
なるほど、自分たちの時代とのギャップに妙に納得をした。
 
-
 
 
その方は、いわゆる当時の2ちゃんねらーと言われるお方のようで、
私もお友達のTwitterリストで初めて知ったのだが、当時から舌鋒鋭くたたみかけることで有名らしい。
 
それを象徴していたハンドルネームを最近封印され、
仮名と揶揄されるような古典的な本名で活動し始めた方…と言えば、
その道に詳しい人ならすぐにおわかりだと思う。
 
こんな一私人が、かく有名な方の名前を表記するといかにも…なので伏せておくけれど、
この方が昨夜、奥様とお子さんとの家族写真をTwitter上に、堂々と、さっぱりきっぱりと載せた。
 
日頃この方のTweetを拝見するに、会社を持っておられるのはもちろん、
投資が趣味のようであちこちの会社に名を連ね、
日本だけに留まらず世界どこへでも飛んでいる様だが、
常に移動は電車で、「遅刻なう」は彼の持ちネタとさえされている。
 
このような、いわゆる今を象徴している方のステータスが、
「家族を持つこと」という事実が、とても興味深かった。
 
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平均年収が400万円台前半の時代、
私たちが一つの目安としていた、「年収600万円」なんて夢のまた夢だし、
性体験の若年化は、女子は変わらずとも男子は逆に退行しているとも見受けられ、
こんな背景だと、確かに「結婚して子供を育む」ことの価値が高まるのは当たり前だと思えたのだ。
 
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女性が家庭に入りたがらない時代は確かにあった。
しかし、今は入りたくても入れない時代ではないのだろうか?
 
人が家庭を持つことさえ苦労をする時代ということは、
明らかに何かがおかしくて、これは単一的な理由とは思えず、
もはやベクトルが間違った方向に向いているとしか考えられない。
 
なんてことを、深夜の某隊長の家族写真を拝見して思ったのでした。
 
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さて。
 
毎年恒例となった母ちゃんからの春の知らせは、今年は昨夜だったんだ。
 
 
 

 
 
 
 

投稿者: nob0801

2012/02/24 14:15

カテゴリー: 日々

今年の徒然 〜その1〜

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ありゃま。
 
昨年末からのblogがらみの宿題があまりに残酷すぎて、
更新どころではなかったヨシタケですこんにちは。
 
ありゃま…は、年明けのご挨拶からすでに1ヶ月も経っていることと、
冗談抜きで、寒中見舞いも間に合わない気がしてきたってことです。
 
 
 
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                      Phote by gstascat さん
 
 
 
年が明けてからは、日本共産党における新しい委員の活動や、変わらずのデモ活動、
本業では、練馬にて個人宅の現場と、横浜のショールームの工事とで、なんだか忙しくさせて頂いておりました。
 
 
そんな中。
 
個人的なつきあいは20年を超え、その内私の右腕として働いてもらっていた期間は10年、
相手が客先だった期間は3年、こちらが仕事を依頼したのは5年と、
ほぼ、この業界でがっぷり一緒に仕事をしていた人が、とうとう会社をたたむことになった。
 
数年のブランクを経て再会を果たしてからは、私の出来ること、言えることを、
口酸っぱくなるほど言い続けたのだが、先方は私よりもひとまわりも先輩で、
ぶっちゃけ「わかってるけどできない」状態で、遅かれ早かれというのも否定はできない。
 
それでも、私のようなチャラけたキャラクターならまだしも、
真面目を固めたような生き方をした60歳近い技術者が、
妻子に加えて90歳を超えた母親と今後どうして生きていくのか、
他人さまの心配をしている状態ではないのだが、どうしても気がかりだ。

もちろん、弊社がお仕事をお手伝いした分は、
この先管財人さんの決断までは宙に浮いた状態で、
しかも金額は弊社の2ヶ月分の売上額に相当する訳で、
私自身も痺れてるっちゃあ痺れてる。
  
ええ。
 
痺れてますともーっ!!
 
 
-
 
また、6年目にして初めて、上京をドタキャンしたヤツも、
年明け早々、どでかいアクシデントに振り回されている状態で、
ようやく1ヶ月と10日ぶりに逢えたのが先週末。
 
こちらの痺れっぷりと、あちらの奔走ぶりを互いに報告したのち、
トイレから戻ったヤツは、「オマエは要求はするけど依存をしないのがいい。」と唐突に語りだした。

確かに、先月若干テンパった私は『次はいつ来る?』と問うた。
その週末に調整してくれていたのが、ドンピシャでアクシデントがぶつかり、
結果、3週間以上、自力で堪えていたことの評価とともに、
次のステージに上がったようだと告白された。
 
 
はじまりは、お互いが心地いいところだけをシェアできる【都合のいいお付き合い】だった。
この頃は、ヤツは仕事で煮詰まると平気で音信不通になり、
最高で27日間生存確認が出来なかったこともあった。
 
ヤツのオイタが発覚した昨年の5月2日。
一旦関係を白紙に戻したものの、3週間後にヤツから改めて再開のオファーがあり、
この時に【特別な相手】だと言われた。
 
そして今回、初めて1ヶ月を超えて逢えたヤツは、
「オマエが日頃誰とどうしていようが、俺にとってのオマエは決して揺るぐことはない。
俺のサラリーマン生活のモチベーションはオマエに支えられていることが全てだ。」と、
ある節目である今年の3月を前に、手を差しのべられた。
 
 
私の中のヤツは、最初から全く変わっておらず、
それは恐らくこれからも、遠距離や仕事や活動や、今までとなんら変わることはなく、
「オマエも頑張れよ。」と振り返ること無い背中を毎月見送るんだろうと思う。

でも。
 
おばあちゃんになってもどうやら1人じゃなさそうよ…って意味では、
こっそり小躍りしている。
 
抜群に、ヤバイくらい痺れてるんだけど小躍りしてる。
 

 
  
…このままじゃ転ぶな、確実に(笑)
 
 
 

投稿者: nob0801

2012/02/13 15:41

カテゴリー: ヤツ, 日々

今年もよろしくお願いします。

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2012年。
 
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 

 
                      Phote by gstascat さん
 
 
毎年、年末のどさくさの中で「あけましておめでとうございます」と書くことが嫌いな上、
昨年は、敬愛する女史の言葉を拝借すると「世界が変わった年」であるわけで、
私としては年賀状なんてとてもとても!という気分でした。
 
それでもみなさまにご挨拶をする数少ない機会なので諸々準備して「いざ!」ってところで、
弊社の、形はブスだけどサイズと機能は申し分のないbrotherの複合機が壊れていることを思い出し、
日常のA4とA3は、面倒だけどトレイをごにょごにょしたら印刷できるのに、
ハガキとL判だけが出来ない事実に呆然としている「なう」なのです。
 
ここまで来てじたばたしても仕方がないので、寒中見舞いか暑中見舞いか、
とにかくみなさま、本年もどうぞよろしくってことで、お願いいたします。
 
 
 
-
 
年末から年始にかけては、毎度のヤツが君臨しており、
5回目のお正月ともなると年々老いていくその姿に、感慨深いものがありました。

例年、お正月はヤツが大好物の[かに]三昧に暮らすのですが、
今年はこの素晴らしい写真を撮られる gstascat さんから、
その地へ行かなくては食べられない贅沢な[かに]を送って頂き、
それを、目を細めて幸せそうに食べている姿は、
まさに茂造のそのシーンと丸かぶりし、
こんな風に人は添い続けるのかなと、胸が熱くなった次第です。
 
 
 
-
 
また昨年はさまざまな出会いがあり、どうしても切ってはいけない縁だとわかりつつ、
そのスタイルとストロークの違いから年の瀬に自らカサブタを剥がし、
まだ十分湿気ている生傷を舐めながら、さて今年はどうしたもんかと、
未だに頭の中は甘酒がたっぷり沸いている状態であります。
 
それでも、昨年意を決して入党した日本共産党において、
毎度のトラブルメーカーっぷりを発揮し、先輩方に迷惑をかけつつも、
適所だと判断くださった部署へのお誘いを受け、
年明け早々の会議にて早くもタスクをたっぷりと頂戴し、
やはり必要とされご奉仕することに、背中がぷるぷるするほど喜びを覚えております。
 
 
 
-
 
震災から10ヶ月が過ぎ、あらゆる事実や見通しや目論見や悲鳴や嘲笑や嗚咽が、
関係のないところでの「言葉」としか認知されなくなって来ており、
いよいよこの先が不安でなりません。
いみじくも暮れに初めて高尾山に誘って頂き、
その展望台から見下ろした八王子の街は私には街には見えず、
石巻の日和山公園から見た風景が蘇り、すぐにその場を離れました。
 
被災地支援に関しても、さまざまな「言葉」がふわふわと舞っておりますが、
どうであれ、現地に行かねば忘れるのは現実で、
「そう思うなら単独で行けばいいのに。」などと勇ましい「言葉」も頂戴しましたが、
あいにくそこまでの行動力がないことは自覚しておりますゆえ、
何と言われても、団体の力を借りて早速今年の3.11には現地にお手伝いに行くことにしました。
 
 
 
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本業に関しても、昨年までと今年からのアプローチを大きく変える予定でいます。
世の中が変化する前に、文化が心が人が変わっていることから目を背けるわけにはいきません。
ましてや、私の生業は相手に併せて形を変えていくことが1番正しい姿でなくてはなりません。
時には逆立ちをしたり四つん這いになったり後ろ向きになったりと、
相手が望む形や速度で併走することが私の仕事です。
 
 
諸々宿題は貯まっており、さらにドン!ドン!と上積みされて、
口を開けて上目遣いで始まった2012年ですが、
どうぞみなさま、変わらず、おつきあい下さいませ。
 
 
 

投稿者: nob0801

2012/01/11 17:03

カテゴリー: 日々, 時事

今年もお世話になりました。

2件のコメント

 
思い起こせば、初めて自分のサイトにコラムを書き始めたのは、1997年だったかしら…。
そのログはすっかりどこかのサバの底に置き忘れてしまいましたが、
数行でも毎日更新することで、生きたサイトとして認識していただき、
営業部などなくても、13年もの間、会社を運営することができました。
 
それから再出発したのち、いちサラリーマンとして書き始めたこのblogですが、
毎日から毎週へ、そしてとうとう月に1回程度の更新頻度となってしまいました。
 
その背景には、Twitterという新しいツールが生まれたことも大きいのですが、
加えて、1人で仕事をしていることで、インプットが明らかに減ったことも事実です。

インプットが減ったところへ、安易にアウトプットできてしまうという悪循環に、
このままでは、ただでさえスカスカの脳みそが綿菓子のようになってしまうという危機感があります。
 
 
-
 
Twitterを始めて新しい出会いが生まれ、コミュニティが発生し、活動がしやすくなったところに、震災がありました。
震災前とその後で、Twitterは明らかに違う物になりました。
 
気づいたときには、PCやiPhoneに向かってTwitterをひたすら読み続け、
伝言したり罵倒したり嘲笑することで何かを成した気になっていました。
 
悲しいことに、今でもそんな人たちはたくさんおり、
モグラたたきのように、次から次へと涌いて出るそういう人たちを諭そうとしている人や、
それをまた無言で眺める人、通りすがりに捨て台詞を吐いていく人…。
これらは全て名前も顔も知らない人同士の、ユイが泳いでいる無機質な海の中でのことです。
 
私は常に、敬愛している被災地に住む1人の女性がどう思うか?を意識していました。
意識してさえも、道を踏み外すことが多々ありました。これも大きな課題です。
『声をあげすぎないように。』とわかっていても、当事者の痛みが想像できなくては無意味でした。
 
 
-
 
そんな状況の中、震災がなかったら知り合えなかった人や、
知り合えたとしても一生交わることがなかったであろう人と、気づいたら渋谷や銀座で声を上げている一方で、
今までは普通に接していた人との関係に小さな疑問が生まれ、
自分から離れていったり気づいたら置いていかれていたり。
 
何かを主張することが…ことしか、自分には残されていないと知らされたものの、
その主張の仕方のさじ加減に未だに悩んでおり、
とても危うい細い細い線の上を、恐る恐る歩いているような気がしています。 
 
-
 
少なくても、私の2011年は、なんだか自分のような自分ではないような、
数え切れないほどのたくさんの渦に弾かれてここに着いた気がしています。
どんな時でも、外的な要因で変化することは、至極普通のことだと思っていますが、
今年はその数が圧倒的に違いました。
さすがにそろそろ、今の自分が立っている足下を、地盤を、確かめないといけないと思い始めています。
 
自分の立ち位置を確認するときに、未熟な私には必ず物差しが必要になります。
常に同じ場所にマイルストーンがないと、私は自分の足下が見えません。
 
震災後、左に振れたり右に振れたりしている私を、
「おまえはどんどん振れていい。あちこちに振れて人に影響を与えて歩くのがおまえの役目だ。」と、
背中を押してくれたのは、紛れもないヤツです。
 
 
-
 
何かを始めようとすると、必ずヤツの「なんのために?」という問いが聞こえていました。
「俺は自分のことしか考えられへんから[自分のために]しかできひんけど、
おまえは違うんやから、必ず[なんのために?]と考えんとあかんで。」
 
なんのために?
 
この数ヶ月、あえて言語化するならば、大きく『左から右へ』と振れていました。
それは『必要とされたから』です。
私が唯一誇れることは、必要とされれば、上も下も右も左も関係なく身を投じることができることです。
でも、それは、ユイの泳ぐ世界では無理があったようです。
 
さすがに、きちんと自分の意思をしっかりと見直して、
「なんのために?」を明確にしないと、今の私の頭の中は、あまりに人任せのやり放題で、
どこから手を付けていいのかわからない状態です。
 
 
-
 
毎月1度、ヤツに私の散らかった頭の中の整理をしてもらっており、
今回もちょうど1ヶ月を迎えるタイミングゆえでしょうか…。
それとも今年1年を振り返り始めているせいでしょうか…。
 
今の私は「散らかった」というよりも「荒れ放題」の方がぴったりな状態です。
 
あまりにも荒れ果てた私の頭と心は、この年越しに綺麗に整理しなくてはなりません。
 
 
-
 
こんな私のことでも、とてもかわいがってくださった方々がいます。
 
ちょっとだけ自慢しましょう。
 
私の事務所には、来年までたっぷり食べられるだけのお米があります。
それだけではありません。
全国のお友達がそのときの旬のものを、都度おすそ分けしてくださいます。 
 
これらは、かわいがってくださったみなさんから頂いたお心だと思っています。
 
 
-
 
『東京にいると、なかなか召し上がって頂きたいものが見つかりません。』
…などといいわけをすることを、来年は止めましょう。
かわいがってくださった方たちに、ずっと愛されるように、
今一度自分と向き合って、私の心を贈りましょう。

やみくもに身を委ねた2011年を糧に、
来年はもっと、意思を持って、丁寧に生きようと思います。
 
 
2011年。
 
個々が各々に戦争をしているような心がすさむ1年でしたが、
今年のことは絶対に忘れてはならないと思っています。
 
みなさま、心から御礼を申し上げます。
今年は大変お世話になりました。ありがとうございました。
 
新しい年は、私の周りのみんなが、心穏やかに過ごせる年になることを心から祈っています。
 
 

 

投稿者: nob0801

2011/12/27 14:46

カテゴリー: ヤツ, 日々, 時事

こまけぇこたぁどーでもいい。

2件のコメント

 
すっかり放置してしまっておりますが、
やりたいことは一生懸命やり続けているヨシタケですこんにちは。
 
 
 
今日は、いくつかの映像をご紹介したいので、イメージ写真は省きます。
 
 
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3.11以降、いてもたってもいられなくなり、日本共産党に入党し、
真っ先に参加したのが「7.2 原発ゼロをめざす緊急集会」だ。
 
支部から「こういったアクションがある」とだけ伝えられていた私は、
『行けばなんとかなるだろう』と、集合場所も何も聞かずにフラッと明治公園に行った。
 
その頃から、たくさんのテントや旗には全く興味なく、
ただひたすら『原発を止めたい』としか考えていなかった私は、
自分の属している支部を探すこともなく、ただただ「単独」で、
福島県議のメッセージや、区議団が作成した放射線量マップなどを見て歩いていた。
 
ところが集会後のデモ行進の際に、初めてその様々な旗に意味があり、
この集会は、「ある一定の集団」の集まりであることを感じた。
 
 
 

 
 
 
 
-
 
次に私が参加したのは、Twitterで呼びかけが始まった @twitnonukes 主催の、
俗に言う「ツイッターデモ」だ。
 
これは @Fancy_karate 氏の一言から始まった、なんの色も着いていない、
心から「原発を止めたい」というだけの、極々シンプルなデモだ。
  
 
 

 
 
 
 
-
 
そしてもう1つ。
共産党員でありながら参加しても良いか、一応是非を問い、
問題ないと許可を得て参加した「右からの脱原発デモ」だ。
 
 
 

 
 
 
 
-
 
この3つのデモは、人間がコントロールできないことがわかった原発を、
即刻停止することだけをただただ訴えているだけなのだが、並べて見れば一目瞭然で、
明治公園のデモだけは、とても大きな「ノイズ」が目についてしまう。
 
たまたま知り合いと会うこともなく参加した時に感じた、
『あれ?この隊列に入ってもいいのかしら?』といった、暗黙のルールから弾かれている疎外感は、
同じく単独で参加した、以降の2つのデモには全く感じられないものだった。
 
 
-
 
そこには、反原発運動は左翼のものだとか、今まで右翼が原発を推進してきただとか、
もっともっと根深い政治においてのイデオロギーの違いがあるらしく、
現在でも、経産省前で脱原発を訴えるテントのあり方に、右だの左だのといういざこざがあるらしい。
 
 
私はまだ日本共産党に在籍しており、その立場で発することが問題だと問われたら、
速やかに党員を辞めてもいい。
それでも言いたい。
 
『暗黙のルールや、過去のしがらみや、思想の違いなんか、知らんがな。
 そんなことこだわっているから、正しい活動も評価されず、色物扱いされるんだよ。
 今はそんなこと、後回しにして原発止めたらええがな。了見狭いにもほどがあるってば!』
 
 
  
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あーあ。
とうとうこれで、党員クビじゃろうねぇ。
しゃあないわな。
うちの性分として黙っておられんから今がある。
 
入党に向けていろいろと骨を折ってくださった、村井先生、ごめんな。
  
 
 
 

 

投稿者: nob0801

2011/11/28 17:30

カテゴリー: 時事

やっとツキが変わります。

2件のコメント

 
怒濤の10月がようやく終わり、ホッとしているヨシタケですこんにちは。
 
 

                        maf’s Photo
 
 
 
まーアレだ。生きてく中では何があってもおかしくない。
 
でも、[いっぺんに…]ってのは、どうかと思うんだ。
 
 
-
 
マメさんの病気は安定したものの、
母ちゃんが検査入院となると、なんだかんだと日参する必要があるワケで、
それに加えて、仕事を任せていた先が下手打って後始末に奔走し、
おまけにお友達がオモイオモワレフリフラレみたいな状況になり、
陰ながらサポートしてたりと、なんじゃこりゃーってのが今年の10月。
 
ちなみにリスケでぐちゃぐちゃになった10月のページ。
 
 
 

 
 
 
 
幸いにして、のど元過ぎると…というよりも、
咀嚼さえしてしまえば熱さを忘れる特技を持っているので、
もうすっかり気分は11月に向いており、
へらず口が復活した母ちゃんと言い争いながら、
お手をしたら何かもらえると思っている空腹のマメの面倒を見ながら、
自分のやるべきことを、再度見直し始めたのです。
 
 
-
 
このところの仕事上のトラブルは、明らかに業界の異常を訴えており、
このままでは話題のTPPうんにゃらに浸食される前にダメになる予感が満載なのだ。 
 
昔から「契約書1枚でお金がもらえるのは建築屋だけだ。」と言われており、
そこに目をつけて、
融資を受ける代わりに仕事を受注している「建築屋もどき」が増えている。
 
この人たちは、「○○建設」や「××工務店」を名乗っているが、
その実は、内装屋だったり給排水専門だったり外構屋だったりと様々で、
お客さまと契約したら、契約金は自社の運転に充て、
仕事は営業力のない工務店に丸投げし、支払いは通常の締め支払いで、
下手すると手形混ぜてみたりと、あからさまに弱い物いじめだ。
 
業界の多重構造は今に始まったことではなく、この手法は昨日今日生まれた話ではないが、
問題は実際に建物を建てる企業の数より、中間のブローカーの方が多くなっていることだ。
 
私自身が工務店を経営している中で、イヤと言うほど身に染みた[請負](請け負け)が、
まさに「真面目にやれば馬鹿を見る」と、誰もが投げ出しているとしか思えないのだ。
 
これは、とても重大な問題だと思っている。
 
 
なぜかというと、施主の代理人である設計事務所ですら、
その発注先の専門性や財務状況等を把握していないからだ。
 
 
-
 
既存の財務データベース会社が把握しているカウントよりも、現実はもっと厳しいし、
もっとエグイ。
 
それを知るには、もっともっと踏み込んで【見るべき箇所】を見ない限り、
永遠に見えないと思う。

その事実に気づいたときは、現場が立ち行かなくなっているはずだ。
 
 
-
  
少し前まで私は、乱立した「建築家」の見極めが必要だと思い、今の業態に従事したが、
今は建設会社や工務店のリサーチ及び提案が、急務だと思い始めている。
   
 

ずぶずぶの見積書は、建築家のやりたいことをねじ込むには最適でしょうが、
その分確実に工務店は疲弊していること、
力尽きて倒れた瞬間に施主は路頭に迷うということの重大さを、
今一度認識してもらいたいと思うのだ。
 
 
 
建築家の方は、過去の流れを盲信せずに冷静になって見極めて欲しいと心から願う。 
 
 
 

投稿者: nob0801

2011/10/31 15:44

カテゴリー: 仕事

やるだけやったけど…。

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どうしてこうなって、今後はどうなって、
そうならないためにはこうするしかないってことを伝えようとした。 
これ以上の不幸が待っているから…。
 
白と黒の境目は白くしようと口火を切ったが、
残念ながら、聞き入れてもらえなかった。
 
やるだけやったから、もう次に進もう。
 
 
残念だ。
 
 

 

投稿者: nob0801

2011/10/20 17:59

カテゴリー: 日々

美しい現場

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こんにちは。現場監督のヨシタケです。
 
10年ぶりかしら…。作業着を着ましたよ。
 
 

  
 
 
10月5日は、母の誕生日なのだけど、なぜかこの日に病院に送り込むこととなり、
2泊3日の検査入院をさせた。
 
翌6日は朝からスティーブ・ジョブズが亡くなったニュースで、
朝からTLを見て泣き、あちこちの逸話を読んで泣き、ショップの献花を見て泣き、
AppleとGoogleのトップページに泣き…とにかく泣きっぱなしの1日だった。
 
 
そんな、ある意味いつものまったりとした日常の中、
「現場が進まないのでヘルプ」の声がかかり、いろいろと紐解いてみたら、
意思決定できる人間がどこにも居ないときたもんだ。
 
いい年を召された先輩方に大変申し訳ないのだが、
「出来ないこと」はいくら頑張っても「出来ない」のだから、早めにそう言うべきだよ。
 
お客さんや設計者や末端の職人さんが何かを問おうにも、
誰に聞いたらいいか全くわからない状態で、
「この人カモ!」と勇気を出して問うてみたら、
隣のオッサンに伝言ゲームしているようじゃ、これ、進むハズがないワケで。
 
そんな流れで10年ぶりの作業着で乗り込んで気づいたことは、
業界が2周りほど縮小している印象でした。
 
-
 
昔(って言い方は好きじゃナイんだけど、そんだけ年取ったってことで…)は、
「業界は広いようで狭いから、不義理したら食っていけなくなっちゃうよ」ってな
不文率は当然あったのだけど、同業者と現場レベルで話しが繋がるのは、
およそ5つ目か6つ目に1回くらいだったろうか…。 
ところが最近では早くも2つ目でYAYAYA状態になる。
 
『あー、おたくがあの人のところのあの仕事やったの?』
 
それは、確実に人材が不足していることを意味しており、
確かに「建設業」を名乗る絶対数は変わっていないのだろうが、
あくまでも伝言ゲームに参加している人が増えているだけで、
知識と経験と技術を身につけた「現場監督」は、
もしかしたら消滅しているのかもしれない。
 
私のここで言う「技術」とは、世間が認識している肩書き(施工管理技士)ってな、
わかりやすい話ではない。
 
私たちクラスが携わる現場での現場監督の仕事は、
専門技術をもった職人に、いかに明確に完成形を示し、
最短で、しかも最適にそのルートを歩いてもらうかの交通整理が仕事だと思っている。
 
そこには当然建築の知識は必要だが、それに加えて
コミュニケーションスキルが長けていないと、それはそれは進行に支障をきたす。
  
-
 
仕事を知らないオッサンたちは、聞いたことを全部伝えたらやってもらえると勘違いをしている。
 
「言っておいたんだけどな…。」って平気な顔しているそこのキミ。
 
相手がどう理解をするかを考えると、
情報のフィルタリングやスケジューリングがとても重要で、
そんなエゴは職人さんには通じないってことがどうしてわからんのか?
 
良くも悪くもその場で意思決定をし、併せて情報の管理はとても重要で、
必要な情報を的確なタイミングで伝えるということで、仕事の優先順位が明確になり、
綺麗な仕事を気持ちよく進めてもらえ、
結果として美しい「現場」に繋がるんだけどなぁ。
 
 
 
-
 
あっ!←今気づいた(笑)
 
-
 
  
『建築業界のAppleを造る!』って決断し、起業したのは1993年の9月。
 
この時はまだ、わからなかったことで、今やっとわかったこと。
 
私の仕事は、美しい「現場」を造ることで、美しい「建築」を造ることではなかった。
 
美しい建築は建築家が、美しい現場は現場監督が造るんだ。
 
 
-
 
また新しい何か、出来そうだ…。
  
ってか気づくのおそっ!
 
 

 
 
 

 

投稿者: nob0801

2011/10/14 13:50

カテゴリー: 日々

村の鎮守の神さまは?

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政治じゃあ、なんじゃあかんじゃあと言っている間に、すっかり秋めいており、
いい加減に更新しろよなぁ、アタシ…なヨシタケですこんにちは。
 
 

 
 
 
前回のエントリに書いた、「とっても右側」の方からありがたい気づきを頂きました。
 
 
-
 
私は、産まれたのは葛飾小学校の裏の病院で、そのあとすぐに江東区の大島に引っ越した。
 
文字通り下町生まれだし、もっと言うと、親父は戦前から代々続いた電気工事業の三代目で、
大正生まれでありながらすでに自転車を持っていたとか、大学を出てるとか、
それはそれは私には全くピンとこない逸話が満載だ。(笑)
 
ちなみに両国橋の街路灯は、父の会社の先代が手がけたらしく、
両国橋を渡るたびに『わかったわかった。聞いた聞いた。』という状態だった。
 
 
-
 
買い物は母と、地元の中の橋商店街で、角のうなぎ屋さんが毎日うなぎを捌いている横を通り抜けて人混みに混ざり、
おでんだね屋さんの店先で炊かれているちくわぶを買ってもらったり、
商店街の端に、ときたま現れる飴細工の屋台で、ごつごつした手で練られる飴をぼーっと眺めているのが好きだった。
 
 
-
 
小学校5年生のとき、親父の会社がダメになり、祖母のいる福山に、字面の通り「夜逃げ」をした。
 
それまでの父と母のこと、ついて行くか行かないかなんてのは、また別の話。
 
 
-
 
大島に住んでいたときは、お祭りが盛んだった。
 
浴衣を着せてもらうのも嬉しいし、なにより盆踊りが大好きだった。
なんてったって東京音頭が大好物だったんだ。
 
 

 
  
 
福山に引っ越してからのお祭りの記憶は、ほとんど無くて、
キーワードとしては「夜店」が楽しみだった。
 
ただ、東京では当たり前だった『ソースせんべいに梅ジャム!』や『りんご飴♪ 』は、当時の福山では出会えず、
イカ焼きやお好み焼き系のものばかりな印象がある。
 
 
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高校を卒業して東京へ戻り、先日亡くなった叔母と従姉妹が暮らしていた飯倉片町に身を寄せた。
  
弟はそのまま地元の中学校へ編入し、私は、建築を学ぶために碑文谷のインテリアデザインスクールに通った。
 
そののちに、飯倉片町のマンションが混みすぎていたので、従姉妹と2人で王子に暮らすようになった。
 
王子に暮らして建築を学ぶということは、中央校学校に行くのが必然というワケで、
1年遅れで建築科の夜間部に入学した。
 
 
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すでに従姉妹とは別々に暮らしており、例のマッチ1本で燃えるアパートに住んでいた。
 
このアパートのすぐ近くにバイク屋さんがあり、
『すみませーん。GSX400Rくださーい。』って買いに行ったのが、私の御神輿人生の始まりだった。
 
このバイク屋さんは、親父さんは町会の役員だし、長男は和太鼓の会の幹部だし、
御輿好きの長女とは、抜群に気が合って毎日一緒に酒飲む仲になった。
 
毎日のコーヒーに加えて、秋のお祭り、お正月のお餅つきや甘酒など、季節の風物はこのバイク屋さんと共にあった。
 
しかし、学校を卒業し現場監督となった頃、母と弟も飯倉片町を出て長者丸に越しており、
私も王子から長者丸へ移ってからは、ほとんど祭事に参加する機会がなかった。
 
 
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長者丸から経堂へ流れ着いたのは、20年前のこと。
 
駅が高架になるまでは商店街のお祭りもどこかしら窮屈だった。
 
しかも、御神輿でなくサンバのパレードだし、世田谷区は早々にテキ屋さんを排除しており、
町会がえっちらえっちら運営する夜店には、全く魅力がない。
 
経堂に来て唯一、風物詩とも言えた、町鳶さんが開くお正月のお飾り屋さんも、
今では見かけることがなくなった。
 
 
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経堂で事務所を開くときに神棚を備えた。
 
神主さんに祝詞をあげてもらおうと、地元の天祖神社に依頼をしたら、
「平日は会社があるので、日曜日にして欲しい。」と言われた。
 
神主さんがサラリーマンを兼業していることがあると、初めて知った。
 
 
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駅が高架になってから、駅前広場ができた。
 
お祭りのとき、駅前広場には、やぐらではなくステージが組まれた。
 
ちょっとだけ広がったお祭りだったが、やっぱり私が参加したいお祭りは、そこには無かった。
 
 
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【「主義主張」「政治的意見」「正邪の判断」を留保してローカルコミュニティを充実させてみてください。】
 
彼の方にこのように言われた私は、今、へこ帯をどこに仕舞ったか、必死で考えている。
 
 
 
 
 
 

投稿者: nob0801

2011/09/23 18:15

カテゴリー: 日々

いつもの俺たち

4件のコメント

 
バイクに乗るとしたら、2サイクルの[クイン]という加速が好きだし、
もしも願いが叶うなら体力があるうちに戦闘機に乗ってみたいし、
ヒュー・ストンには阿呆のように繰り返し繰り返し乗るのだけど、
残念ながらジェットコースターだけは、コーナーの出口を見るクセが抜けて無くて、
全然楽しめないヨシタケですこんにちは。
 
 
 
 
 
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諸々の行事を終え、ひとまず日常が戻っております。
 
自宅の上階のベランダのサッシが、油がキレて、[キュルキュルー]という開閉の音が毎朝20回以上聞こえ、
『…開けておいて干したらいいのに…。』と眉間にシワを寄せて目覚める日常。
 
ダメんず1号に電話して『今どこ?』と聞くと「ゴードンゴードンゴードン」
もしくは「エスパスエスパス。聞こえないよ!」と言われる日常。
 
『今日はニトロ飲んだの?』「飲まない。発作が来そうになったから休んでるから。」と母ちゃんと交わす日常。
 
マメのお腹に手を当てて、『治りますように。』と祈る日常。
 
 
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このところ、マメのクッシング症候群・子宮蓄膿症に始まり、母ちゃんの狭心症、叔母の死、
そしてオマケに私の膀胱炎と、なにやら、不幸自慢な日々が続いているワケですが、
根っから脳天気な私は、現実を淡々と受け入れるのみです。
 
日々こなす業務に加えて、ケアすべき対象に取り組むだけなので、ストレスとは全く無縁です。
 
政治活動について、一瞬凹んだ時期もありましたが、
元来、のど元を過ぎるどころかひと飲みで全て消化できる体質に加え、
神がかり的なフォロワーさんの励ましを受けて、もうすっかり過去の話です。
 
 
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そんな政治活動の今後ですが、まだ逡巡しております。
今回のことは、そもそも自分の思想が左翼という自覚がなかったからではないか…と思い始めています。
 
幼少期からなぜか周りは左翼思想ばかりで、偶然巡り会った高校の恩師までもが生粋の共産主義だったのに、
今日まで、いま一歩踏み込めなかった理由が、なんとなく見えてきた気がします。
 
震災後、いてもたってもいられなくて入党したのですが、
それは中に入れば入るほど違和感として大きくなっており、今回はたまたま先輩党員とぶつかったというだけで、
本質として、自分は左翼にはなりきれないという気がしています。
  
そんな中、たまたまTweetを拝見した極右の方の理屈に惹かれ、その方の深い知識に日々勉強をしているところです。
 
これまた極端な話で、『ノンポリかよ!』と突っ込まれそうですが、もともと右も左もないところに心があり、
日本人の歴史や文化や尊厳を否定せず、受け入れた上でこの先どうするか…という思いからの行動ゆえ、
もしかしたら、私にも極右の資質があるのかもしれません。
 
自分でも『気持ち悪いなぁ、アタシ』と思いながらも、その方にメールを送ったりして(笑)
 
とにかく、今を生きている私たちが決めるルールよりも先に守るべきルールがあるハズで、
それを守った上で、初めて、今の私たちの経済活動が許されると思っていて…。
 
この問題は、次回、ヤツが来たときにしっかり棚卸ししてから決めようと思っています。
 
  
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そんなヤツから、昨日、久しぶりにメールが来ました。←2週間ぶり。
 
「ご無沙汰ですが、ご機嫌いかが?」
 
…これって恋人からのメールですかー?(笑)
 
 
ともあれ、2通目に「来週の休日出勤を避けるべく、今週末も出社します。」と言ってくれたので、
来週の連休にはお目にかかれそうです。
 
 
 
以上、徒然でした。
 
 
 

 
 

投稿者: nob0801

2011/09/09 14:34

カテゴリー: 日々, 時事

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